3度のワールドチャンピオンを獲得し、1980年代後半から1990年代初頭のF1で絶大な人気を誇ったアイルトン・セナ。彼がレース中の事故で帰らぬ人になってから、今日5月1日で20年が経った。
当時は、日本でも大人気だったF1ドライバーの突然の訃報に、民法のみならずNHKも翌朝のニュース番組のメインとしてトップで取り上げ、多くの新聞などでも一面で報じられた。
今年は没後20年と言う事もあり、モータースポーツ媒体のみならずスポーツ誌も特集として大々的に取り上げ、当時のことを振り返る記事を掲載している。またセナが亡くなったという第一報を伝えたフジテレビは、1日の22時00分からCSのフジテレビNEXTで特別番組を放送予定。お時間がある方は、是非こちらもチェックしていただきたい。
また、日本のみならず世界各国のメディアもセナを取り上げており、イギリスでも特別番組が放送される予定で、モータースポーツメディアは、当時のセナの写真をTwitterやFacebookに掲載し、20年前のこの日の出来事を報じている。
あの“タンブレロの悲劇”から早いもので20年。今年は節目の年ということもあり、生前のレースでの活躍などがメインで取り上げられているが、筆者も当時のことを知る一人として、この日に改めて立ち止まって考えなければならないことがあると感じている。
それはモータースポーツ界にとって表に出てくることは少ないが、決して怠ってはいけない課題“安全性”だ。
【1994年5月1日“タンブレロの悲劇”】
シリーズ第3戦として開催されたサンマリノGP。舞台となるイモラサーキットは、多種多彩なコーナーがあり、ドライバー・チームにとってもチャレンジングなサーキットとして人気が高かった。
そのコース前半にあった左高速コーナー「タンブレロ」で悲劇は起きた。決勝レース序盤の7周目。トップでコーナーに進入したセナは、いきなりコントロールを失い、時速260km近いスピードが出たまま、コースオフ。そのまま真っすぐコンクリートウォールに激突した。その際に飛び散ったパーツがセナの頭部を直撃。すぐにヘリコプターで病院に運ばれたが、事故から約4時間後の午後6時40分(現地時間)に帰らぬ人となった。
実は、この前日の4月30日に行われた公式予選中にはローランド・ラッツェンバーガーが大クラッシュし死亡。さらにその前日にはセナの後輩でもあったルーベンス・バリチェロも大クラッシュ。一時意識不明の重体になるなど、ショッキングな事故が続いたレースでもあった。
【ずっと安全性向上を訴え続けてきたセナ】
1レースに2人のドライバーが亡くなるという前代未聞のレースウィークとなってしまった94年のサンマリノGP。その翌レースからF1は安全面に対して非常にシビアになり、シーズン中でありながら大幅なレギュレーション変更や、コースレイアウトの変更を行うなど、対策に打って出た。
マシンはエンジンのサイズ(排気量)縮小、ウイングの小型化などを進め全体的なスピードダウンに務め、今では世界中のレースで当たり前のように導入されているピットレーン内の速度規制も、この事故の次のレースからF1での導入が始まった。
さらにサーキット面も高速コーナーには、仮設シケインが設置され、あの有名なスパ・フランコルシャン(ベルギーGP)のオー・ルージュも、事故後の数年間はシケインが設けられていたのだ。
こうしたF1全体で取り組みが、少しずつ実を結び、ドライバーの死亡事故は起きていない(ただ、残念ながらコースマーシャルが事故の時に飛び散った破片が直撃し亡くなるといった事故は数件起きている)。
だが、これらの取り組みはセナが生前から強く訴え続け、誰よりも「レース中の事故」を重く厳しく考えていたこと。彼がF1に参戦している間も、様々なドライバーが命の危険に関わるようなクラッシュが起きている。セナは事故が起きるたびに、真っ先に現場に急行。ドライバーの安否を気遣うとともに、現場を徹底的に見つめ「なぜ、このような事故が起きたのか?」「このような事故が起きても、ドライバーが無事でいられるようにするためには何をすべきか?」を考え、時には周りに改善を訴えかけてきた。
ただ、残念なことに抜本的な対策が行われないまま、94年にセナの事故が起きてしまった。実は、その現場となったタンブレロは時速300km近い状態のままアクセル全開で曲がっていく左コーナーにも関わらず、外側に大きな川が流れており十分なランオフエリア(砂になっている部分)が確保されていなかった。今では当たり前となっているタイヤバリアも一切ないコンクリートウォールだけの状態。ランオフエリア内の砂の量も少なく、マシンのスピードダウンを助けてくれる効果はあまりないという環境で起きてしまったことも、このような悲劇につながった一つの要因だった。
もちろん、これらも事故後すぐに改修され、翌年のF1開催時にはタイヤバリアの設置に加え、コースも完全なシケインとなり、低速で進入できる比較的安全なコーナーになったのだ。そう、この対策が1年早く行われていれば、もしかするとセナは助かっていた可能性がいくらかあったのだ。
現在もマシンの強度やコースの安全面に関しては、FIA(国際自動車連盟)が厳しい基準を設けており、それをパスしない限りは公式戦で使用することはできない。こうした安全面の向上は、セナが生前のころから常々訴えてきたこと。残念ながら、彼の命の引き換えに周りがその重要性に気づいて、本格的な取り組みが始まったといっても、間違いではないだろう。
【モータースポーツの安全性向上にゴールなし】
あの事故から20年。モータースポーツに関わる1人として、この日に何ができるのだろうか?と、毎年5月1日になると筆者も立ち止まって考えるようにしてきた。もちろん、今ではこういった機会でないとセナという伝説のドライバーの活躍を振り返ることも重要だが、それ以上に「モータースポーツの安全性」について再度考え、意識を改める一つの機会なのではないか?と思っている。
あれから確かにF1でのドライバー死亡事故はないが、他のレースカテゴリーでは悲しい事故が今なお続いているのが現状。もちろん、今の安全対策に欠落している部分があると言うつもりはないが、死亡事故が起きている以上、完璧であるとも言えない。
今週末も富士スピードウェイでSUPER GT第2戦、ベルギーのスパ・フランコルシャンではWEC第2戦など世界各国で様々なレースが行われるが、その全てで全員が安全で無事にレースを終える。この当たり前な事を確実に実行するために、現状のものが本当に万全と言えるのか?今できる最善の対策ができているのか?もし可能であれば、モータースポーツに関わる全ての人が、再度考えて見直してほしい。
きっと天国のセナも、それを強く望んでいることだろう。
『記事:吉田 知弘』
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。