史上3人目、そして最年少(25歳145日)での3年連続チャンピオンを獲得したベッテル。決定の舞台となった最終戦ブラジルGPの決勝は、上位入賞が求められる1戦。しかしスタート直後から予期せぬアクシデントから最後尾に転落。過去60年以上あるF1の歴史の中で2人(ファン・マヌエル・ファンジオ、ミハエル・シューマッハ)しか成し遂げたことがない3連覇に、史上最年少で挑むベッテル。これまでF1の歴史を築いてきた先人たちが、まるで“試練”を与えられたかのようなレース展開が待ち受けていた。
スタート直後の混乱に巻き込まれスピンを喫したベッテル。幸いマシンのダメージは少なく戦列に復帰したが、タイトルを争うアロンソの遥か後方、最後尾まで後退。ここからの逆転などまず不可能に近い。しかし追い上げなければチャンピオンはアロンソの手にわたってしまう。今季最大のピンチを迎えたベッテルが出した答えは“驚異の追い上げ”だった。ライバル達を蹴散らす勢いで順位を上げ、見事6位まで挽回し、見事3年連続のワールドチャンピオンを勝ち取った。ベッテルは第18戦アブダビGPでもレース序盤に起きた不運なアクシデントでフロントウイングを破損。最後尾まで脱落したが、鬼神のような走りで挽回。3位表彰台を獲得。ここでも大逆転のレースを演じてみせた。
その走りを観て、アイルトン・セナやミハエル・シューマッハなど、その時代のF1をけん引してきた“F1界のカリスマ”たちが繰り広げてきた激闘を思い出した。実は彼らも今回のベッテルのように予期せぬアクシデントで後方に後退し、そこから驚異の追い上げをみせるレースが何度もあった。
例えば3度のチャンピオンを獲得し「音速の貴公子」と呼ばれたアイルトン・セナ。彼がまだルーキーだった頃から、他を圧倒する速さで関係者を驚かせた。1984年モナコGP。当時中堅チームだったトールマンというチームから参戦していたセナは予選13番手からスタート。大雨で行われた決勝レースで序盤から 追い上げていき、2位に浮上。トップを快走するアラン・プロストに迫る勢いで周回を重ねていたが、雨脚は弱まることなくレース続行不可能という判断が下り32周で赤旗終了。残念ながら初優勝とはならなかったが、未来のチャンピオン候補としてトップチームから注目を集めるきっかけとなったレースだった。
[アイルトン・セナ(Photo:MOBILITYLAND)]
初のチャンピオンを獲得した1988年日本GPも“大逆転”のレースだった。スタートでエンストしかけたセナは20番手まで後退。しかし驚異的な追い上げで順位を取り戻し、レースの半分にあたる27周目に最大のライバルだったアラン・プロストをかわしてトップ奪還。初のチャンピオンを鈴鹿サーキットで獲得した。
過去最多7度のチャンピオンを獲得したミハエル・シューマッハも後方から怒涛の追い上げをみせ、多くのファンを魅了してきた。1995年ベルギーGPでは天候が目まぐるしく変わる予選で失敗。16番手という後方からのスタートになったが、ピット戦略を駆使して優勝を飾った。また予期せぬトラブルで最後尾に落ちるレースも何度も経験した。ミカ・ハッキネンとのタイトル争いで注目を集めた1998年日本GP。ポールポジションのシューマッハはスタートシグナル点灯前にまさかのエンスト。これで最後尾に落ちてしまうが前のマシンを次々とオーバーテイクし3位にまで浮上してきた。結局、接触して散らばった他車のパーツでタイヤがバースト。リタイヤとなりチャンピオンもハッキネンの手に渡ったが、日本のファンを含め多くの人の記憶に残るレースとなった。
[ミハエル・シューマッハ(Photo:KANSENZYUKU)]
記憶に残るレースといえば、2006年最終戦ブラジルGPも挙げられる。一度目の引退レースであり8度目のチャンピオンをかけた1戦。予選Q3でトラブルに見舞われ10番手からスタートしたシューマッハ、一度は順位を上げるがオーバーテイクの際に他車と接触しタイヤがパンク。緊急交換で最後尾に転落してしまう。それでも諦めずにファイナルラップまで攻め続け5位入賞を飾った。チャンピオンはアロンソが獲得したが、誰もが「引退するには惜しいドライバーだ」と感じた瞬間だった。
もちろん、これら先輩ドライバーたちの迫力あるレースには、マシン性能の差、チーム力の差など、ドライバーの技量以外の要素も絡んでいることは確かだが、誰が見ても「あのドライバーは圧倒的に速い!」という印象を与えたのは確か。このようなファンの記憶に残るレースを魅せることができるドライバーは決して多くはいない。
今回のアブダビGP、ブラジルGPの追い上げも、リザルトで見ると優勝はしていないものの、セナやシューマッハと同じような「後方から追い上げて他を圧倒するレース」を魅せたベッテル。現役最強という呼び声も高いアロンソとの真っ向勝負を制し、史上最年少で3度目のチャンピオンを獲得。「きっと、これからのF1を背負っていく“カリスマ的存在”になっていくのかもしれない」と感じさせてくれたシーズンだった。
3連覇を決めるチェッカーフラッグを受けた後、パルクフェルメ(車両保管所)に戻ったベッテルに真っ先に歩み寄ってきたのが、これまでのF1を背負ってきたシューマッハだった。2000年代に数々の栄光を勝ち取り、ひとつの時代を築いてきたカリスマ。奇しくもベッテルが3連覇を達成した日は、シューマッハにとってF1引退の日でもあった。喜びを爆発させるベッテルを祝福し、一言声をかけたシューマッハ。実際に何を言ったかは定かではないが、まるで「これからのF1を任せたぞ」と言ったように見えた。
「一つの伝説が幕を閉じ、新たな伝説のストーリーが始まろうとしている・・・」そんな期待を抱かせてくれる2012年シーズンの最終戦だった。
そして、ベッテルの物語は来年も続く。今度は4連覇という偉業に挑戦することになるベッテル。まだ25歳という若さゆえに、彼を“カリスマ”と呼ぶのは早いという意見も少なくないだろう。ただ、数多くの栄光を勝ち取ってきたシューマッハが引退。現役の中で一番多くチャンピオンを獲得したドライバーとなり、来年以降もF1をけん引していく存在になったことは間違いない。
残念ながら、今年は地上波放送でのテレビ中継がなく、日本の人々にとってF1と触れる機会が極端に減ってしまった1年となってしまった。この変化によりF1観戦をやめてしまった方も少なくはないだろう。逆にそれでも鈴鹿サーキットでの日本GPに足を運び、BS・CS放送で毎戦欠かさずに観戦された熱心なファンが多かったのも事実。ファンの皆様にとっても「大きな変化」があった1年だっただろう。
来季は小林可夢偉のレギュラー参戦もなくなり、さらに日本とF1をつなぐ環境が薄れていくことは確実。しかし、一つだけハッキリと言えることがある。
この先10年、20年経った時、F1を観ているファンの間で間違いなく語り継がれているであろうドライバーが、今第一線の舞台で常に最速を目指して走っている、そのリアルタイムの瞬間を我々は観ることができ、同じ空間を共有できるということだ。
来年以降、我々にどんな“凄いこと”を魅せてくれるのか?これからもベッテルの挑戦を見守っていきたい。
『記事:吉田 知弘』
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