早いもので、金曜日(特別ピットウォークを含めると木曜日)から始まったF1日本GPも、最終日の決勝日を迎えました。
朝6時のゲートオープンと同時に、続々とファンが来場。グッズショップでお土産や応援グッズを購入していました。
一方、パドックへつながるゲート前では、熱心なファンがドライバーの入り待ち!それぞれドライバーに気付いてもらえるように、大きな応援フラッグやメッセージボードを掲げてアピールしていました。
この日も様々なイベントが用意され、F1観戦以外でもファンが楽しめるイベントがもりだくさん!
まずグランドスタンドで行われたのは、鈴鹿高校の書道部による書道パフォーマンス。大きな紙の上で「魂」「可夢偉」などの字を豪快に書き、来場されたファンを歓迎していました。
GPスクエア内のメインステージでは、サポーターズコンテストの決勝が行われ、金・土曜から予選会を勝ちあがった6組が登場!予選以上の応援パフォーマンスを披露していました。優勝は、3年間このコンテストに挑戦し続けたものの、優勝を勝取れなかった2人が3度目の挑戦で見事優勝!景品の豪華パドッククラブツアーを獲得していました。
コース上でも決勝レースを前に様々なイベントが行われました。
まずは、フォーミュラニッポンのデモ走行。世界最高峰のF1の舞台で、フォーミュラニッポンマシンが初めて走る夢のコラボレーションが実現しました。今回はNo.31中嶋大祐(NAKAJIMA RACING)、No.10小林崇志(HP REAL RACING)、No.3アンドレア・カルダレッリ(KONDO RACING)、No.33国本雄資(Projectμ/cerumo/INGING)の4台が登場。現役マシンに現役ドライバーということで、かなり本気に近い走りを披露し、さらにデモレースも行ってくれました。
その後、サポートレースの決勝をはさみ、12時55分からは「レジェンドF1デモ走行」。1989年に活躍したロータス101Tというマシンが登場しました。ドライバーはもちろん、このマシンで活躍した元F1ドライバーの中嶋悟氏。
当時、雨のレースで強さを発揮し「雨のナカジマ」と言われるきかっけとなったマシンです。
西コースを出発し、メインストレートに戻ってきたロータス101Tは、一度停車。そこで1989年当時もF1のテレビ中継で解説を行っていた今宮純氏のインタビューでは、懐かしい話に花が咲いていました。
そして、快晴の鈴鹿サーキットを2周デモランしたロータス101T。当時のF1を知っていたり、また鈴鹿でF1観戦をされていた方にとっては、今とは全く異なる形状のマシン。異なるエンジンサウンド、でもコースは昔と変わらない鈴鹿で、懐かしい光景が目の前に広がっていたのではないでしょうか?
デモ走行イベントが終了すると、いよいよF1日本GPのクライマックス!決勝レースに向けての準備が進んでいきます。まずコース上ではドライバーズパレードが行われ、各ドライバーがクラシックカーに同乗して、ファンの前に姿を現しました。
特に小林可夢偉は、2コーナーとヘアピンにある可夢偉応援席でクルマから降りてファンの元へ駆け寄って声援に応えていました。
そして、午後3時からの決勝レース。チャンピオン争いのかかった大事な1戦!
レースに先立ち、メインストレート上では少女合唱団MJCアンサンブルの皆さんが国家斉唱。福島県南相馬市で活動する彼女達。大きな震災に見舞われた日本ですが、それでも自分達が元気に前へ進もうとしている姿を世界中に発進してくれました。
レースの詳細はこちら↓
http://www.kansenzyuku.com/circuitdiary/diary.cgi?no=436
こうして、早いもので決勝レースが終了。
ほとんどのファンが家路を急いでサーキットを後にしていきましたが、この後も西コースウォークに参加したり、グランドスタンドでのプレイバック上映会に参加するファンも多く、F1日本GPの余韻に浸っていました。
サーキットを後にするファンも「できれば、もう少しだけ鈴鹿にいたい」と、帰る足も、ちょっと重たかった気がします。
それだけ、今年のF1日本GPは「夢のような3日間」だったのかもしれません。
また、来年鈴鹿サーキットでお会いしましょう!
『記事:吉田 知弘』