今回、観戦塾の「Circuit Diary」で、全7回に渡って、JAFグランプリ2010のレース・イベント紹介。さらに見どころをお伝えする『JAFGP直前特集』。
第2回の今回は、20年ぶりに復活する「JAFグランプリ」というレースタイトルの歴史と伝統について、ご紹介したいと思う。
第1回:概要編
http://www.kansenzyuku.com/circuitdiary/diary.cgi?no=212
【JAFグランプリ開催のきっかけは“F1誘致のため”】
JAFグランプリというレースタイトルが出来上がったのは、今から40年以上前の1969年。当時の国内モータースポーツでは、“スポーツカーで日本一を争うレース”として「日本グランプリ」がすでに存在していた。
しかし、世界的には“当たり前”になっているスポーツカーレースだけでは、F1の日本誘致には物足りない要素が多く、さらにフォーミュラカーレースの知名度もほとんどない状態。そこでJAF(日本自動車連盟)が主催となり、日本グランプリとは別の「フォーミュラーカーによる国内最高峰レースタイトル“JAFグランプリ”」が1969年に出来上がったのだ。
これにより、日本グランプリに次ぐ格式のレースとして5月に開催、日本グランプリは秋開催に固定され、春と秋の2大モータースポーツイベントとして毎年行われていくようになる。
ちなみに開催場所は、その年により鈴鹿サーキットになったり、富士スピードウェイになったりと、一貫性はなかった。
開催当初は、現在で言う「フォーミュラ・トヨタ」などのジュニアフォーミュラクラスに当たる「フォーミュラ・リブレ(FL)」というレースにJAFグランプリタイトルがつけられていたが、1970年には元F1王者のジャッキー・スチュワートや先代の歴代F1最多出走記録保持者だったリカルド・パトレーゼが優勝していた。
その後、1978年からメインレースが全日本F2選手権(後の全日本F3000、フォーミュラニッポン)になり、そこで今ではチーム監督として有名な中嶋悟、星野一義、長谷見昌弘、高橋国光らが優勝し「JAFグランプリ」という栄誉を勝ち取った。
途中、オイルショックの影響で開催されない年もあったが、ほぼ毎年に渡り開催されたJAFグランプリ。気付けば目標としていたF1も日本で開催されるようになっており、1988年からはグループC(プロトタイプスポーツカー)でのレースとして開催されるようになった。
そして、国内レースの開催規則変更に伴い、1990年を持ってJAFグランプリレースは一旦幕を閉じる事になる。
その最後のレース、富士でのJAFGPで関谷正徳/故・小河等組のトヨタ90C-Vが勝利してから、20年経った今年2010年。
新しくリニューアルされた富士スピードウェイで、JAFグランプリがいよいよ復活を果たす。
【JAFグランプリという“タイトル名の重み”】
今回のJAFグランプリに伴い、急遽参戦体制を変更するチームがある。
今年スーパーGTのGT300クラスで「#9初音ミク・ポルシェ」で参戦しているグッドスマイルレーシングwithCOXだ。
その中で、ポルシェのマシン提供・技術協力をしているCOXは、元々「COX SPEED」というチームで、全日本F3やマカオF3などの、JAFGPが開催されていた頃にフォーミュラカーレースで活躍していた旧名門チーム。
今回、20年ぶりにJAFグランプリという伝統あるタイトルが復活するという事で「往年のCOX SPEEDという名で参戦したい」と志願。
そのため、いつもの初音ミクカラーを封印し、「COX SPEED」としてエントリーしている。
なかなか「JAFグランプリ」というレースタイトルに聞き慣れない方も多いかもしれないが、それだけ「重みや思い入れが強くなるレースタイトル」なのだ。
【あの頃の優勝ドライバーが今ではチーム監督】
前述にもあったが、当時のJAFGPで優勝したドライバーの多くは、現在「チーム監督」として国内モータースポーツに携わっている。
そして、その監督となった方々が育てた国内の若手ドライバー達が「師匠たちが昔追い求めていた“JAFグランプリ”」という栄誉に、挑戦するチャンスが今年出来上がった。
おそらく、それぞれの監督達も当時の事を思い出し、感慨深くなる瞬間なのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇レジェンドカップ◆◇◆◇◆◇
しかし、今回のJAFGPは少し違う。
いつもはチーム監督としてピット内で指揮を執っている往年の名選手が、「レーシングドライバー」として、今週末の富士でレースを行う。
それが“レジェンドカップ”だ。
<<レース名称>>
ENEOS SUSTINA LEGEND CUP
<<レーススケジュール>>
11月12日(金):練習走行・予選
11月13日(土):決勝1(8周)
11月14日(日):決勝2(8周)
<<予選ルール>>
◆決勝1◆
30分間の練習走行でのベストラップを計測。
そこで、50歳以上のドライバーはハンデとして「年齢-50」を秒換算して、予選タイムに反映(50歳未満はノーハンデ)
これで組み直したタイムの速かった順で、決勝1のグリッドを決定。
◇決勝2◇
決勝1の結果のリバースグリッド。決勝1でリタイヤしたドライバーは決勝②では最後尾よりスタート。
<<チャンピオン決定方法>>
各決勝レースでの結果に応じてポイントを与え、2レースの合計で最も多かったドライバーがチャンピオン
※「レジェンドカップ」ポイントシステム(単位:ポイント)
優勝:20 2位:18 3位:15 4位:14 5位:13 6位:12 7位:11 8位:10 9位:9 10位8
11位:7 12位:6 13位:5 14位:4 15位:3 16位:2 17位:1 18位以下:0
<<参戦マシン>>
MAZDA ROADSTAR レース車両(全員が同じ車両でのワンメイクレース)
<<参戦ドライバー>>
カーナンバー:ドライバー名(年齢)「東西対抗戦の所属軍」
No.2:土屋 圭一(54)「東」
No.3:長谷 見昌弘(65)「東」
No.6:黒澤 琢弥(48)「西」
No.8:松本 恵二(60)「西」
No.10:金石 勝智(41)「西」
No.11:星野 薫(63)「西」
No.12:高木 虎之介(36)「西」
No.15:岡田 秀樹(51)「西」
No.16:影山 正彦(47)「東」
No.17:鈴木 恵一(61)「東」
No.20:柳田 春人(60)「東」
No.24:近藤 真彦(46)「東」
No.25:ジェフ・リース(59)「東」
No.26:和田 孝夫(57)「東」
No.32:中嶋 悟(57)「西」
No.36:舘信 秀(63)「西」
No.37:関谷 正徳(60)「西」
No.55:鈴木 亜久里(50)「東」
No.85:森本 晃生(50)「西」
No.100:高橋 国光(70)「東」
これだけの名ドライバー達が出走するレジェンドカップ。メインレースとなるスーパーGT、フォーミュラニッポンのレースは午後からのスタートだが、レジェンドカップが開催される午前中のレースも見逃せない。
特に、彼らが現役当時、足繁くサーキットに通っていた、TVや雑誌で活躍を見守っていたファンにとっては、必見のレースイベントだ。
さて、次回の第3回では、今回のメインレースのひとつである「スーパーGT」の“特別戦ルール”をご紹介したいと思う。
『記事:吉田 知弘(ビギナー観戦塾)』