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【FormulaNippon】第7戦鈴鹿:中嶋一貴の苦悩と歓喜が詰まった最終戦の2日間
- 2012/11/6
- Formula Nippon
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2012年のフォーミュラ・ニッポン最終戦鈴鹿。5人のドライバーによるチャンピオン争いは第2レースで起死回生の逆転優勝を果たした中嶋一貴(PETRONAS TEAM TOM’S)がチャンピオンに輝いた。
開幕戦鈴鹿で優勝すると、全戦でポイントを獲得。トータル38ポイントとランキング首位の状態で、再び鈴鹿入り。しかし土曜日のフリー走行からマシンセッティングに苦しみ午後の予選も大苦戦。Q2で9位ノックアウトとなり、第2レースは9番手からのスタート。Q1結果でグリッドが決まる第1レースでは当初は13位だったものの、2度チェッカーフラッグを受けるルール違反を犯し3グリッド降格のペナルティ。まさかの16番手スタートを余儀なくされてしまう。
迎えた4日(日)の決勝日。マシンの調子が上がらないまま第1レースのスターティンググリッドについた一貴。「F・ニッポンデビュー戦だった昨年の鈴鹿を思い出しました。本当に朝からエンジニアとともに“ガックリ”という状態でした」スタート直前までチームと話し合い、打開策を探した一貴。決勝第1レースはスタートで大きく順位を上げるも抜きにくい鈴鹿のコースが災いし12位フィニッシュ。今季初の0ポイントレースとなってしまった。
一方、ライバルの伊沢拓也(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)が優勝を飾り、塚越広大(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)も3位表彰台。これで伊沢、塚越が40ポイントとなり一貴を逆転。さらに第2レースではランキング5位のジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ(TEAM IMPUL)がポールポジションからのスタート。このままの状態では一貴のチャンピオンは“ほぼ不可能”と感じた方はきっと多かっただろう。
「僕自身、第1レースが終わった時点で半分以上チャンピオンを諦めかけていました。第2レースが始まる前もチャンピオン争いという意識はなく、9番手から今回のレースで出来るベストな事をやろうと思っていました。」
[第2レースのスタート前、この時の一貴は何を考えていたのだろうか]
もしかすると、この考え方が第2レースでの大逆転劇が生まれるきっかけだったのかもしれない。午後の8分間ウォームアップもエンジニアとセッティングの確認を行い続け、レースが始まる直前まで今までの速さを取り戻すことだけに注力した一貴とトムスチーム。さらに“今回のレースで出来るベストな事”の一つとして逆転をかけた1周目でのタイヤ交換だった。
「僕らのポジションからして1周目でタイヤ交換して攻めて行く戦略しかないと思っていました。1周目で僕とアンドレ(・ロッテラー)の位置関係や周りの状況を見ながら最終判断を下すという作戦だったので、すごく難しいタイミングでしたが、当初の予定通りに1周目で入る事ができました」
スタートでタイトル争いをする伊沢、ロッテラーをパスし、1周目で早々とタイヤ交換義務を消化。前方がクリアな状態で走ることになった一貴だったが、そのペースにサーキットにいる誰もが驚いた。今週末は影を潜めていた、あの“速さ”が復活したのだった。「本当に自分でも信じられなかったです。凄く乗りやすくて、28周があっという間に過ぎ去っていきました。」
前方がクリアなのを利用し、自己ベストタイムを更新しながら周回を重ね、一番チャンピオンに近い位置で走行していた塚越も逆転。さらにトップを快走していたオリベイラはマシントラブルで後退。ついに21周目に鈴鹿サーキットのタワーボードの一番上に「2」のカーナンバーが帰ってきた。
「勝てばチャンピオンだということはスタート前の場内実況で聞こえていたので知っていましたが、その時は半分聞き流している状態でした(笑)でもレース中、塚越を抜いてJP(オリベイラ)もトラブルで脱落していってトップが見えてきた時に“このまま行けばチャンピオンだ”と意識するようになりました。そこからの周回は少し長く感じましたけど、マシンの状態が良かったので特に問題はなかったです。」
そして短いようで長かった28周を終え、今季2度目のトップチェッカーを受けた一貴。ウイニングランの間、何度もガッツポーズを繰り返し、パルクフェルメに戻ってくると、喜びを爆発させた。
その時の状況について、レース後の記者会見に出席した一貴は「いつもは勝って1周すると気持ちが冷めてしまうことがあるんですが、今回は違いました。さすがに1年を通してチャンピオン獲得を目標にやってきて、開幕戦からコツコツと積み上げてきた結果なので・・・」と、これまでの苦労を思い出し言葉を詰まらせた。これまでF1やWECといった世界選手権での活躍が目立ってきた一貴だが、子供の頃からフォーミュラ・ニッポンを含めた全日本選手権のタイトルが欲しかったという目標が叶い、感極まった瞬間だった。
[会見中に今シーズンの苦労を思い出し、言葉をつまらせる一貴]
「カートの頃から、全日本のタイトルが欲しくて何度も挑戦してきましたが、やっと獲得することが出来ました。この前WECの富士で勝った時も世界選手権の舞台での優勝で嬉しかったのですが、こっちはこっちで1年間積み上げてきたものがあるので、喜びもより大きかったです。」
悲願の全日本タイトルを獲得した一貴。来シーズンはフォーミュラ・ニッポン改めスーパーフォーミュラに残るのか?それとも別のカテゴリーに活躍の場を移すのか?まだ詳細については決まっていないが、中嶋一貴というドライバーが大きく成長した1年、そして最終戦鈴鹿ラウンドの2日間だったかもしれない。
『記事:吉田 知弘』
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